東京など都市部の一極集中による、首都圏の巨大な電力需要が地方に原発を建設させたことが、そもそも農業をはじめ様々に、問題を引き起こしているのです。
我々が【祭】や【舞】を通しても、其処をしっかりと反省して、「好きなんだから良いじゃない」という、安易な思考による行動から、一歩も二歩も出ていくべきなのではないでしょうか?
需要があるから、良いのだという安易な行動が【食】に対しても、横行しています。
名ばかりの無農薬や、有機栽培、企業の農業進出、今後は農業が巨大な経済を生むなど、間違えば水同様に食糧もグローバル資本主義の渦のなかに、はまっていく可能性が潜んでいるのです。
しかし、僕も農業従事者ではないので、今の農業技能をまだ多少持ってらっしゃる方々の衰退、それを助長させている、我々の思考こそに着目するべきだと思っています。
僕のこの「日本人としての思考力低下の危機」は、大平洋戦争突入時と残念ながら殆ど変わっていないと認識しているのです。其ほどにマクド型が僕らに張り付いてしまったのでしょう。
けれども、最後のあがきをするか、そんなものだよと諦め更なる崩壊に目を背け、短期の視線上での経済方向に手を染めるかでいえば、僕はあがいていたいのです。
其が僕にとって、伏流水を飲めるシステム作りというチャレンジですが、その挑戦とは、「人間社会の愚かさに詠嘆する」ということです。
この「人間社会の愚かさに詠嘆したところ」から踊ることにのみ、本当の今を踊る意味があるのだと思っています。
【詠嘆】とは、感動することです。
自然の美しさに詠嘆するとかと使われる言葉です。
では愚かさに感動するとは、どういうことでしょうか?

自分は長きに渡り、躍りの世界で生きてきました。
作品を作るときもやはり自然に「今」が好む好まないに関わらず、露見されてしまいます。
その時に自分の作品や踊る意味を見いだそうとするとき、いつも出逢ったのが自分の愚かさです。大きな作品になると仕込みの時から、大量の電気を消費します。
ここから、薪能や、様々な古典芸能が存在した意味を探す旅が始まりました。
結果北の国からの五郎さんのような生活に身をおいてこそ、見えてくるであろう、舞う意味でした。
その長い旅で、己の愚かさを知れば知るほど、其れが農業で言えば、無農薬、無肥料の自然栽培に身を置こうが、其処での知識、経験を積むほどに、人間の愚かさを実感せざるおえない事に出逢うという事だったのです。
ですから、僕は自分を信じていませんが、この壮大な山が作る伏流水の素晴らしさに共通する、自然の生み出す力だけは、唯一信じれるのです。
その過程で【肺】という器官は、バザールであると気付き、その中心におけるものは人知を越えたもののみだという事、そしてそことしっかり繋がった【肚】でしか軸は取れないのだと、知るほどに「人間社会」が茶番劇に見えてきたのです。
まるで自分の皮膚の上を歩く蟻が、ここは俺の土地だと取引したりしている愚かさです。
其処で蟻は皮膚の持ち主に気付かれ、はらい落とされると、其を天災が来たとあわてふためく愚かさです。
所詮大きな地球という生き物の皮膚に生息している、細菌みたいなものでしかないのだと思うのです。その細菌が余りにバランスを崩すほどに増えすぎてしまったのですから、大量発生した羽蟻を殺虫するように、整理される。
それとも知らずに、グローバル資本主義だ、これからは農業ブームだなどと、蟻がお喋りをしている。この愚かさに、感動するのです。

そして不思議なことに一度愚かさを認めてしまうと、とっても頭がよく、行動力がある地球に自分を委ねてしまえる、幸福感が芽生えるのです。
愚かさを知るがゆえの、プレゼントに感じるのです。
ならば地球という組合長に、この身を捧げてしまい、審判は地球に任せてしまおうと思える覚悟が自分の中にドンドン育っているのです。
この里山と出逢い、伏流水と出逢い僕は【お山協同組合】に就職しました。
この組合は、野生の動植物が好んで飲むお水を、愚かな我々人間にも飲んで頂くことで、利用していただくことで、組合長の地球さんが同士を探して、【お山協同組合生き生き連合】を今早急に作ろうとされています。
何故なら、間もなく地球組合長さんはクシャミと共に武者震いを起こしてしまう予感があるのに、その皮膚に住む住人は、全く気付かれいないからです。
だから住んでる土地の生理を理解してほしいと、この生きている母船は、組合員に今必死にチェンジを求めているのです。
僕の【舞】を通しての帰還は、今この地球さんと共に踊りたいのです。


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